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私たちは会う(トラウマ?)

どうも前世がかなり孤独だったらしく、私には友達という存在が異常なほど?ありがたく思えます。

十代のころ、友人と車に乗って遠くの山に流れ星を見に行ったとき、流れ星スポットに行くことよりも「私には静かな星空を一緒に眺められる友達がいる」ということが感動的でなりませんでした。そして星が流れたと無邪気に喜ぶ友人の横顔を見て、くすくす笑ったものです。

その感動は今も変わらず、特に、待ち合わせした場所に車で向かっているとき、不思議な喜びでいっぱいになります。「あの場所に私の友達が来るんだ。同じ時間に、同じピンポイントに来て、私たちは会う」と考えると、奇跡のように思えるのです。だって、約束しなかったら会えないですよね。二人でそう決めて、その場に行くって、まるで男女間の両想いのような奇跡じゃないですか^^?

昨日、私は280マイルの距離を超えて友人に会いに行きました。そこには他の会いたかった面々もいて、やはり壮大な奇跡のように感じました。

でもこんなに毎度毎度、友達に会うたびに感動するなんて、あり得るでしょうか^^?私は最近、前世を疑っています。前世で無人島に島流しにでもあったのでしょうか?相当孤独だったのでしょう。

実は子どものころ、童話『星の王子さま』の絵を見て胸が苦しくなった記憶があります。誰もいない星にぽつんと佇む王子さま…その孤独を思うとページをめくることができませんでした。だから本の虫の私ですが、あの物語は読んでいません。さらには目をつぶってシャワーを浴びたりエステサロンの美顔で目をタオルでふさがれたりすることも私にはできません。目をつぶって暗闇が目の前に広がると、途方もない孤独を感じて息が苦しくなってしまうのです。

私には恐怖症が多く、日々、とても不自由に感じるのですが、友達をありがたいという思える病気やトラウマなら残しておいても良いかな?とも思います(そう考えられないほど孤独が辛い日もありますが…><)。だから私が友達に尽くすとき、それは本当にただいてくれるだけでありがたいから、それだけで十分なギフトだから、何のお返しもいらなくて、ただ感謝の気持ちでいっぱいで尽くしているのです。

↑昨日のムームーパーティー。日本にいるときも私の友達は皆、大らかで優しい人ばかりでしたが、アメリカでもそのような友人ばかりです。大らかで気楽で、誰のこともジャッジしない――お互いに間違うこともいっぱいありますが、いつも爆笑して終わりの私たちです。

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